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Mozillaがメリトクラシーを捨てるとき

Mozillaはガバナンスのあり方を自ら定義しているのだが、最近、その定義を見直す動きがある。mozilla.governanceフォーラムの"Proposal: Addressing the term “meritocracy” in the governance statement"スレッドで議論が行われている。

まずはMozillaのガバナンスのあり方について、現在の定義を見てみよう。

Mozilla is an open source project governed as a meritocracy. Our community is structured as a virtual organization where authority is distributed to both volunteer and employed community members as they show their abilities through contributions to the project.

Mozillaはメリトクラシーを採用するオープンソース・プロジェクトである。我々のコミュニティは仮想的な組織として構築され、そこでの権威は、プロジェクトへの貢献を通じて自らの能力を示すことにより、ボランティアにも雇用されたコミュニティ構成員にも配分される。

難しい言い回しだが、かみ砕いて言えば、努力・能力・成果の総体を「メリット」と呼ぶとすると、Mozillaコミュニティはメリットを基準にして運営されていくということだ。コミュニティの構成員はMozilla Corp.の従業員と外部貢献者の双方を含むから、世界中に散らばっているし、外部貢献者に対する業務上の指揮命令関係があるわけでもないので、仮想的な組織とならざるをえない。そして、Mozilla Corp.の従業員の特権は否定されており、メリットを示せば外部貢献者の成果物であっても採用される。

この説明でもまだ抽象度が高いわけだが、Mozillaの活動が多様であるため、抽象的な概念を使うことなく簡潔にガバナンスのあり方を定義することは難しい。話をわかりやすくするため、Firefoxの開発に焦点を絞ろう。要するに、メリトクラシーを採用すると、Firefoxの機能を改善する優れたコードが提供されるのであれば、Mozilla Corp.の内外を問わず受け入れることになる。

だが、その一方で、Mozillaはダイバーシティと社会的包摂に関する活動にも力を入れている。"Women and Web Literacy"と名付けられたプログラムはその一例だ。この観点からは、Firefoxのコードに対する内外の貢献者において、仮に白人男性が7割を占めているとすると、是正を検討する必要が出てくることになる。

Mozillaが2018年の国際女性デーに合わせて、コードレビュー時のジェンダーバイアスや人種バイアスを減らす実験に取り組んでいることを発表したのも、そうした文脈の中で理解できよう。この実験は、Bugzilla@Mozillaのレビュー申請やGitHubのプルリクエストを匿名化することで、コードレビュー担当者が予断を持ってレビューに臨むことを防ぐというもの。メリットによって評価する際に余計なバイアスがかからないようにするわけだから、これもメリトクラシーの範疇だ。

そこから先、たとえばMozilla Corp.がプログラマを採用する際に、女性の比率を定めるだとか、特定のエスニック・グループ(黒人やヒスパニックなど)に属する場合は面接で加点するといったアファーマティブ・アクションをとろうとすれば、メリトクラシーとの抵触が問題となる。

ここまでの予備知識を踏まえてもらったうえで、提案中の新しい定義を紹介しよう。Mozillaはガバナンスのあり方についての定義を、次のように変えようとしている。

Mozilla is an open source project. Our community is structured as a virtual organization. Authority is primarily distributed to both volunteer and employed community members as they show their ability through contributions to the project. The project also seeks to debias this system of distributing authority through active interventions that engage and encourage participation from diverse communities.

Mozillaはオープンソース・プロジェクトである。我々のコミュニティは仮想的な組織として構築される。権威は、主に、プロジェクトへの貢献を通じて自らの能力を示すことにより、ボランティアにも雇用されたコミュニティ構成員にも配分される。プロジェクトは、多様なコミュニティからの参加を呼び込み、促進することによる積極的な介入を通じて、この権威配分のシステムに存在するバイアスを是正することも追求する。

この定義に則れば、上記のアファーマティブ・アクションも「権威配分のシステムに存在するバイアスを是正する」ための積極的な介入措置として正当化されるだろう。新定義の提案者は、Mozillaのガバナンスのあり方自体を変えようとは思っておらず、説明の仕方を変えるだけだと述べているが、額面通り受け取ることは難しい。

Mozillaが営利を追求しないため、Firefoxにユーザーのプライバシーを尊重する機能を積極的に組み込めるというのであれば、ユーザーにとって利益のある話だ。しかし、Firefoxが「政治的に正しい」プロセスによって開発されたからといって、ユーザーがどんな利益を受けるというのだろう。Firefoxがパフォーマンス面でChromeに追いつくためには、メリトクラシーの徹底こそがむしろ求められているのではないか。

さらに別の疑念が頭をもたげる。「バイアスを是正するための積極的な介入措置」が、プログラマの思想を問題にするようになっていく危険はないだろうか。極端な例を挙げれば、差別主義者がとても優れたコードを書く場合、Mozillaはその貢献を受け入れるのか、ということになるわけだが、実はここで「受け入れない」を選んだ先にこそ真の問題がある。現実には、誰が見ても差別主義者だと判断できるケースは少ないだろう。あるプログラマの過去の発言を捉えて、「彼は女性差別的な発言をしたからMozillaにふさわしくない」との批判が出た際、メリトクラシーに従えば、「彼は優れたコードを書いて貢献してきたからMozillaにふさわしい」と反論できるが、バイアスの是正も追求するとなれば、どうなるかわからない。

ここで思い出されるのがBrendan Eich氏の顛末だ。Eich氏はMozillaプロジェクトの創設者であり、Mozilla Corp.のCTOを努め、2014年3月24日には同社のCEOに就任したが、強い批判を受けて2週間と経たないうちに辞職を余儀なくされた。Eich氏が2008年に同性婚を禁じるカリフォルニア州憲法改正案に賛成し、1000ドルを寄付した点が、Mozilla Corp.のCEOとして不適格だと批判されたのだ。Eich氏はCEO就任後、"Inclusiveness at Mozilla"というブログ記事を発表し、ダイバーシティと社会的包摂を尊重した経営を行っていく旨を宣言したのだが、いったん巻き起こった批判が止むことはなかった。

Mozillaのガバナンスのあり方に関する新定義が発効されれば、同じようなことがもっと広範に起こる可能性も否定できない。この定義は、単なる建て前ではなく、Mozillaの活動の中で常に参照され、活動の方向性の指針となるものだからだ。考えすぎかもしれないが、ニーメラーの警句の例もあることなので、あえて記事を起こして記録に残しておく。