Mozilla Flux

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Mozillaが反ChromeのスタンスでFirefoxのマーケティングキャンペーンを展開へ

新キャンペーンの開始

Mozillaは、米国時間の2017年5月24日、"browse against the machine"と銘打ったFirefoxのマーケティングキャンペーンを開始した。Mozilla Corp.でDirector of Product Marketing, Firefoxを務めるEric Petitt氏が"Browse Against the Machine"というブログ記事で明らかにしたところによれば、このキャンペーンは、明確に反Chromeのスタンスを採用する。

キャンペーンの名称は、Rage Against the Machineというアメリカのロックバンドの名前をもじったもののようだが、最近のGoogleが機械学習に力を入れていることを踏まえているとみられる。ここでいう"the machine"はChrome=Googleの象徴であり、ユーザーを呑み込もうとする圧倒的な存在を想起させる。これに対抗しようと呼びかける形なので、訳しづらいが、あえて意訳すれば「歯車にならないためのブラウズをしよう」といったところか。

Petitt氏は、Webを支配する強大な封建領主にGoogleを喩えたうえ、Chromeは世界最大の広告会社であるGoogleにとって「8レーンの高速道路」だと主張する。つまり広告収益を最大化するための媒体というわけだ。これに対し、FirefoxにはChromeにない以下の5つの長所があるという。

  • FirefoxはChromeよりもメモリ使用量が少ない。
  • FirefoxはChromeのように特定のエコシステムに依存していない。
  • Firefoxはユーザーにデータとプラバシーに関する最大限のコントロールを付与するが、Chromeにはそれができない。
  • Firefoxは世界最大の広告会社によって同社のために作られたものではない。
  • Firefoxは非営利のMozillaによって作られており、Mozillaのミッションは企業の力を部分的に制約して健全なWebを保つことである。

また、こうしたキャンペーンを展開する背景事情として、Firefoxの性能が1年前と比べても強化されていることや、MozillaがGoogleに頼らずに健全な財務状況を維持できていることがあるとしている。

批判と擁護

Petitt氏の上記ブログ記事は賛否両論を巻き起こした。批判の焦点は、Firefoxを持ち上げるためにChromeを貶めることの妥当性にある。互いの性能を比較するのは競争のうちだが、相手のブラウザの前提から批判するとなればこれは喧嘩に近い。マーケティングのやり方を間違っているのではないか、という意見が出るのももっともだろう。

しかし、Mozillaはスタンスを改める気はないようだ。その証拠に、Vice President of Firefox Productを務めるNick Nguyen氏が、"Jumping over guardrails"なる記事を書いてPetitt氏を擁護している。Nguyen氏いわく、Googleは理想に満ちた会社で優秀な人材も揃っているが、営利企業としてユーザーの幸せと収入の増加を均衡させねばならない。これはビジネスの周りをガードレールで囲われた状態に喩えられる。だが、Mozillaはそうしたガードレールを跳び越えて、ユーザーの幸せを追求できる。歯車にならないためのブラウズをすることは、現在の選択の自由だけでなく、将来において選択するための自由に価値を見出すことなのだ、と。

他方、かつてMozilla Corp.のCTOを務めたAndreas Gal氏は、違う角度からの批判を行っている。"Chrome won"と題する記事の中で、Gal氏は反Chromeのキャンペーン自体が無意味だと論じている。Firefoxが存在感を示せているのはデスクトップだけだが、Webにおけるデスクトップは既に過去のものだし、ブラウザがコモディティ化して差別化が困難な中で、圧倒的なシェアを持つChromeに反撃する機会は残されていない、というのがその理由だ。

諸刃の剣

MozillaがFirefoxに価値を担わせる形のマーケティングを展開するのは、今回が初めてではない。今から2年半前、"Choose Independent"キャンペーンでは、Firefoxを選ぶことは、単にブラウザを選ぶだけでなく、個人の自由に賛意を示すとともにオンライン上の自立性を明るく輝かせ続けるための手段でもある、というメッセージが発信された。

このキャンペーンについて、筆者は「ブラウザが価値を担うということ」と題する記事で次のように論じた。

Internet ExplorerがWebで圧倒的なシェアを誇っていた時代、ほかのブラウザを選べること自体が、ユーザーにとっての自由だった。そして、ほかのブラウザを選ぶにあたって、いちいち動機を問われることはなかった。もちろん、ユーザーの中にはWebの自由を体現するものだと考えてFirefoxを選んだ人もいただろうが、多くは、シンプルで使いやすいとか、アドオンが魅力的だといった理由でFirefoxを選んでいたのではないか。

選択肢があるという状況自体が自由を意味し、ユーザーがさまざまな動機でFirefoxを選んでいることは、現在においても何ら変わりがない。にもかかわらず、Firefoxを選ぶことに価値を結びつけるとすれば、排他的な対外的イメージを生じることにならないだろうか。

考えてみてほしい。たとえば、Internet ExplorerやChromeやSafariを、標準でインストールされているという理由で使い続け、あるいは自らダウンロードして選ぶことは、それだけで不自由と依存を選んだことになるのだろうか。Android OSやChromiumの開発に外部から貢献したら、Googleの支配に手を貸したことになるのだろうか。もちろん、Mozillaがそのような極論を述べているわけではないが、Firefoxを選ぶことが自由と自立を選ぶことになると位置づければ、必然的に別の選択(不作為を含む)にネガティブな意味を付与することになる。

そうして生じた排他的なイメージは、キャンペーンの意図に反して、ユーザーを遠ざけることになりかねない。だからこそ、Mozillaコミュニティが価値を担い、そのような価値を実現する目的でFirefoxを開発する一方で、Firefox自体は価値中立的なソフトウェアであり続けるという役割分担が重要になってくる。

前回のキャンペーンは、Firefoxのシェアが低下したため、現に選ばれているという「事実」を提示できず、性能において競合ブラウザを凌いでいるという「機能」を提示することも難しいという状況に対応して出てきたものだといえる。それでも、Firefoxにポジティブな「価値」を結びつけるところでとどまっていた。

だが、今回のキャンペーンはChromeにネガティブな「価値」を付与しようとしている。しかも、マーケティング部門のトップが批判されて撤回するどころか、逆に重役クラスが出てきて擁護しているあたり、腹をくくっている感じがする。

Mozillaがそこまでするのは、デスクトップブラウザの市場が成熟し伸びが見込めない状況にあって、Firefoxがシェアを回復するにはChromeから奪い返すほかに手段がないからだろう。その意味で、Mozillaの認識はAndreas Gal氏の認識と部分的に重なる。違うのは、ブラウザの差別化が可能かどうかという点だ。もちろん、Mozillaは可能という立場だ。

はっきり言って、このキャンペーンは賭けである。成功すればFirefoxのシェアを回復できるかもしれないが、失敗すればMozillaのイメージダウンを招くだけで終わってしまうだろう。筆者の意見は、2年半前と変わらない。やはり、Mozillaコミュニティが価値を担い、Firefox自体は価値中立性を保つ形にとどめておくほうが賢明ではないだろうか。

(17/09/18追記)
以下のツイートは、Mozillaが米国で展開しているとみられるキャンペーンの1つを撮影したもの。Firefoxの利用を呼びかける看板に、大きく"BIG BROWSER IS WATCHING."の一文が記され、BROWSERの部分がChromeのアイコンの色で塗り分けられている。要するに、Chromeをジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する独裁者ビッグ・ブラザー(Big Brother)になぞらえているわけだ。