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Mozilla Flux

Mozilla関係の情報に特化したブログです。

ブラウザが価値を担うということ

Mozillaの新戦略

Firefox10周年のお祝いムードが一段落したところで、今回のキャンペーンについて振り返ってみたい。Mozillaは、Firefoxと特定の価値とを強く結びつけるという大きな一歩を踏み出したように思われるが、本当にそれでよかったのだろうか。

たとえば、Chris Beard氏(Mozilla Corporation CEO)の記事"Celebrating Choice, Control and Independence On the Web"を見てみよう。そこでは、FirefoxがMicrosoftの支配するWebを変え、今日では何億人もの人々に自立と機会を提供しているとして、支持を求めるメッセージが打ち出されている。また、同記事内に掲載されている大型バナーには、"CHOOSE INDEPENDENT. CHOOSE FIREFOX." (自立を選ぼう。Firefoxを選ぼう。)というフレーズが見える。ちなみに、ここでいうindependenceだが、既に何かに支配されている状態を前提にするときは「独立」と訳すのが適当だろうが、支配されるのを防ぐという文脈では、依存しないという趣旨で「自立」と訳すべきだと考えるので、本記事ではそのようにしている。

上記のようなMozillaのメッセージを強く印象づけるのが、キャンペーン用動画だ。0:50ころからの台詞は、個人的なfreedomと集団的なindependenceに焦点を当てたものになっている。日本語字幕は字幕という表現上の制約の中で翻訳されたものなので、私訳を付す。


Firefox: Choose Independent - YouTube

(原文)
Choosing Firefox isn't just choosing a browser.
It's a vote for personal freedom.
It's how we keep our independence online burning bright.

(日本語字幕)
Firefoxを選ぶこと。それは単なるブラウザ選択ではありません。
個人の自由を宣言することでもあります。
みんなのインターネットを守り、より明るく輝かせるために。

(私訳)
Firefoxを選ぶことは、単にブラウザを選ぶことだけにとどまりません。
個人の自由に賛意を示すことであり、私たちがオンライン上の自立性を明るく輝かせ続けるための手段でもあるのです。

Mozillaが念頭に置いているWebの状況については、Andreas Gal氏(Mozilla Corporation CTO)が"10 Years of Firefox and Innovation for the Web Platform"という記事の中で、簡潔に指摘している。

10 years ago, Mozilla started a long journey to set the Web free of Microsoft’s proprietary control, and today we have largely achieved that goal. The next phase of the struggle for an open Web is mobile where a new duopoly has arisen: iOS and Android.

10年前、MozillaはMicrosoftによるプロプライエタリな支配からWebを解放するという長い道のりを歩み始めました。そして今日、私たちはその目標をおおむね達成しました。オープンなWebのため次に取り組むべき分野は、モバイルです。そこでは、iOSとAndroidという新しい複占が生まれています。

つまり、オープンなWebを守るためには、常に選択肢が確保されている必要があるけれども、そうした選択肢は、現に多くの人に選択されているという事実によって支えられなければ、長くは保たない。Firefoxを選ぶことでWebの自由を支えてほしいというのが、Mozillaのいわんとするところだと思われる。筆者も、オープンなWebを守ることが大事だという点に関しては全く異論がない。

新戦略のリスク

"Doing good is part of our code."のフレーズに象徴されるように、Mozillaコミュニティが価値を担うことは、これまでも行われてきた。

しかし、Firefoxに価値を担わせるべきだという意見が出てきたのは、それほど古いことではない。Gervase Markham氏(Mozilla Corporation Governator)が2011年7月に発表した記事"Mozilla’s Competitive Advantages"では、Chromeがシェアを伸ばしてきていることを踏まえ、製品を「新しく輝かしいもの」として宣伝するなら、ユーザーはより新しく、より輝かしいものを求めていくことになるので、コミュニティ、理想を掲げていること、友好的支持といった強みをアピールすべきだとの主張がなされている。逆にいえば、この時期までFirefoxは、その性能を中心にアピールしていたわけだ。

Internet ExplorerがWebで圧倒的なシェアを誇っていた時代、ほかのブラウザを選べること自体が、ユーザーにとっての自由だった。そして、ほかのブラウザを選ぶにあたって、いちいち動機を問われることはなかった。もちろん、ユーザーの中にはWebの自由を体現するものだと考えてFirefoxを選んだ人もいただろうが、多くは、シンプルで使いやすいとか、アドオンが魅力的だといった理由でFirefoxを選んでいたのではないか。

選択肢があるという状況自体が自由を意味し、ユーザーがさまざまな動機でFirefoxを選んでいることは、現在においても何ら変わりがない。にもかかわらず、Firefoxを選ぶことに価値を結びつけるとすれば、排他的な対外的イメージを生じることにならないだろうか。

考えてみてほしい。たとえば、Internet ExplorerやChromeやSafariを、標準でインストールされているという理由で使い続け、あるいは自らダウンロードして選ぶことは、それだけで不自由と依存を選んだことになるのだろうか。Android OSやChromiumの開発に外部から貢献したら、Googleの支配に手を貸したことになるのだろうか。もちろん、Mozillaがそのような極論を述べているわけではないが、Firefoxを選ぶことが自由と自立を選ぶことになると位置づければ、必然的に別の選択(不作為を含む)にネガティブな意味を付与することになる。

そうして生じた排他的なイメージは、キャンペーンの意図に反して、ユーザーを遠ざけることになりかねない。だからこそ、Mozillaコミュニティが価値を担い、そのような価値を実現する目的でFirefoxを開発する一方で、Firefox自体は価値中立的なソフトウェアであり続けるという役割分担が重要になってくる。

また、Firefoxが直接に価値を担うとすれば、開発に制約が生じ、エンジニア主導の開発体制が変質する可能性すらある。別の分野における最近の例を挙げると、2014年9月、文字コード規格であるUnicodeについて、顔や人体の絵文字が明るい肌色で実装されている現状への対策として、色調を変化させる符号が提案されたという。おそらく、技術的な観点からすれば、この提案は規格を複雑にし、新たに実装するコストを生じさせることになるし、過去の実装との互換性にも影響するかもしれない。とはいえ、文字が文化的に重要なものであることは誰も否定できないため、平等性の実現が優先されることになるだろう。

Mozillaコミュニティに関しては、「JavaScriptの父」Brendan Eich氏がMozilla CorporationのCEOの座を追われた事実も見逃せない。ニューヨーク・タイムズWeb版の記事"Personality and Change Inflamed Mozilla Crisis"にまとめられているとおり、Eich氏は、2008年、同性婚を禁じるカリフォルニア州憲法の改正条項(通称Proposition 8)に賛成して1,000ドルを寄付したのだが、2014年になってその行動を問題視された。Mozilla Corporationの方針ではなく、CEO個人の政治的信条が同性愛に不寛容なものであったこと自体が強い批判にさらされたのは、Mozillaコミュニティが一定の価値を担う以上、その中心にあるMozilla Corporationはその先頭に立たねばならず、同社の代表であるCEOもまた、そのような価値にふさわしい人物でなければならないと考えた人が少なくなかったからだろう。

Eich氏の身に起こったことは、Firefoxの開発プロセスにおいても起こりうる。FirefoxはWebの自由と自立を担っているのだから、ある機能を実装すべきだとか、実装するのはふさわしくないといった議論が沸き起こり、主要開発者たちにもコントロールできなくなる日が来るかもしれないのだ。やはり、Mozillaコミュニティが価値を担い、Firefox自体は価値中立性を保つ形にとどめておくほうが賢明ではないだろうか。