Mozilla Flux

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二分法を超えて

話題になってたので『梅田望夫さんに聞く』前後編を読んでみたんだが、梅田氏が「エリート/大衆」みたいな図式を持ち出して平然としていることに軽い目眩を覚えた。

日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia News

Web、はてな、将棋への思い 梅田望夫さんに聞く(後編) (1/3) - ITmedia News

要するに、梅田氏は、アメリカと比べて日本はWeb利用者のエリート率が高くないので残念だと言っている。で、エリート率を高める(=エリートがWebに積極的に参加する)のがネット空間を良くすることになるらしい。しかし、そういうエリート/大衆の二分法が現在の社会の分析枠組みとして合っているのかという疑問と、仮に合っているとして、実社会の階層がWebにダイレクトに反映されるのがいいことなのかという疑問が湧く。梅田氏は両方Yesであることを前提にしているようだが、どちらも簡単にそう言える話なんだろうか。

それともう一つ、これは違う意味での疑問として、どうして梅田氏は自分のエリート志向についてぺらぺらしゃべってしまったんだろう。梅田氏は株式会社はてなの取締役、つまり経営者の一人だ。Webサービスを提供して収益を上げている会社の経営者が、「俺はエリートにしか期待しない」と語れば、「大衆はWebで金だけ落としてくれればいい」という意味に取られることは簡単に予想がつく。反発を喰らうのは必至なのに、公言するメリットがわからない。

梅田氏の発言は、自分がエリート側にいることを前提にしてる。実際、日本の社会をいい方向に引っ張っていきたい思いも言葉の端々から窺える。なら自分の発言の波及効果も計算しないと。物言いがあまりにもナイーブ過ぎやしないか。サブカルに関わる人と「上の人」が別みたいな言い方も含めて。

この点、Mozillaは比較的うまくやってきた。おそらくMozilla CorporationやMozilla Messagingの中心にいる人たちは英語圏のエリートなんだろう。でも、彼らはエリートであることを鼻にかけたりはしない。自分たちの限界も理解していて、謙虚にコミュニティの協力を求めている。参加するのはユーザーのごく一部だけれど、膨大な数のユーザーがいるから、コミュニティも厚みをもつ。参加者が自分の得意なところ、できるところを少しずつ持ち寄って、フルタイムの従業員たちと一緒に、コードを書くだけじゃなくて、テストとかPRとかいろいろやった結果、たとえば今のFirefoxの成功がある。

エリート万歳ということなら、FirefoxはGoogle Chromeに打ち負かされるだろう。優秀な開発者の数を比べたら、きっとMozillaはGoogleに劣るし、資金力も段違いだ。ところがそうならないところに、Webの面白さがある。

この動きに、日本人は加わってないのか。そんなわけはない。全体から見たら不十分かもしれないが、多くの貢献者がさまざまな形で寄与していることは、ちょっと調べれば分かることだ。それもまた日本のWebの一面。梅田氏の視野からは外れてるかもしれないが。