Mozilla Flux

Mozilla関係の情報に特化したブログです。

チャレンジのないところに良いデザインは生まれない

はてなブックマークのホットエントリで見つけた『C-teamで作るバナー広告の効果がスゴすぎてひいた話』(ロケスタ社長日記)を読んだ。バナー広告を200個くらい用意して、審査を通ったものを出稿先に表示し、いろいろ調整しながら効果が最適のものを選び出すのだそうだ。非常に興味深い話で、次の一文がとくに印象に残った。

バナー広告は芸術作品ではなく、あくまで流入させるのが目的なのです。広告なのでどんなにクリエイティブがよいものをつくっても、クリックされなければ意味がありません。

もちろん、データだけであらゆるデザインを決められるわけじゃない。『良いデザインを決定するのはデータなのか、それとも…』(Keep Crazy;shi3zの日記)が指摘しているように、パーツの組み合わせは無数にあり、すべてを試すことなど到底不可能だからだ。

データ中心デザイン主義の人はマルチ商法と同じ罠にハマっている。
マルチ商法は子会員が増えて行くとすぐに人口の上限に達するのと同様、デザインの自由度や多様性というのは60億通り以上は軽く存在するので、完全に「良いデザイン」をデータだけで見つけ出すのは不可能ということ。

目下、人間にしかできないことというのは、1000億を軽く超えるであろう、事実上無限大の選択肢の中からその選択肢をたかだか1000か100くらいまで絞り込むということである。

しかも、その絞り込みは全くのランダムではなく確固たる哲学、換言すれば魂が宿っていなくてはならない。

上の二つの文章を読んで、mozilla.comのall.htmlページの件を思い出した。話を簡単にまとめると、こんな感じだ。Firefoxの各種の言語・OS版を網羅したall.htmlページで、ユーザーが目的のインストーラを見つけやすくするため、デザイナーも含めたチームが知恵を絞り、新デザインの候補を三つ作った。モックアップだけじゃなくて、ちゃんと動作するページも作り、一週間のテスト期間を設けて、既存のものを含めた四つのうちどれがいいか競わせた。

その結果どうなったか? いちおう新しいデザインの一つが、最も高い「コンバージョン率」(ページビューとダウンロードリンクのクリック数を比較したもの)をマークしたので、新ページはそれに選ばれた。でも、そのデザインというのは、既存のデザインをそのまま流用しつつ、右サイドに言語の検索窓と、β版や古いバージョンへのリンクを張っただけという新鮮味に欠けるものだった。

正直なところ、結論を知ったときはがっかりした。クリエイティブなのは、世界地図から大陸を選んで、言語を絞り込んでいくデザインだと思っていたからだ。ところが、データを取ってみると、既存のページのコンバージョン率52.7%に対し、地図を取り入れた案は32.4%にしかならなかった。リニューアルの趣旨は、ユーザーにもっと便利に使ってもらおうということだったので、採用されなかったのも当然ではある。

だけど、何となく嫌な感じがするのはなぜなんだろう。このケースでは、人間が候補を四つに絞ってからテストにかけたわけで、データ中心デザイン主義とは違う。なのに、データを決定基準に据えたことで、無難なデザインに落ち着いてしまった。たぶん、all.htmlページがどうのというより、こうした例が一般化するかもという予感が、嫌な感じと結びついている。最後はデータで決めるってことにすると、いつも一番無難なものに票が集まるんじゃないか。理屈の上では、候補が全部クリエイティブなものなら一番無難でもなおクリエイティブなんだけれど、実際はそんなの無理だろう。

これがデザイン会社のWebサイトだったら、クリエイティブなページをユーザーに見せることが仕事の受注につながる。でも、世の中のほとんどのページは、たとえば商品に興味をもってもらいたいとか、情報を知ってほしいとかいった、デザインそれ自体とは別の「目的」をもっている。クリックされない広告に意味がないのなら、商品に興味をもってもらえない商品紹介ページにも意味はない。そこでデータでもって最終デザインを決めることにすると、結局は可もなく不可もないものができあがる。そんな気がしている。

可もなく不可もないデザインにそれほどバリエーションがあるとも思えないので、メジャーなWebサイトは、きっとどんどん傾向が似てくるだろう。するとWebからデザインの多様性という大きな面白みが一つ失われるだろう。それは、Webの成長にとって、たぶん長期的にみればマイナス要素になる。個別のサイトが最適化をはかるのはいいんだけど、それが積み重なると全体としてはおかしくなることがあり得る。例の合成の誤謬ってやつだ。

データからイノベーションが生まれないとは言い切れないが、大雑把には、効率性を優先するとクリエイティブじゃなくなることが多そうに思う。斬新なものは、受け入れられるまで時間がかかることもある。そしてお金も。Mozilla LabsのAza Raskin氏は、「iPhoneのユーザーインターフェイスが直感的だとみんなが思うようになったのは、Appleが何百万ドルもかけてマーケティングをやったからだ」と指摘している

Appleの場合は、ブランドの力もあっただろう。あそこの新製品ならとりあえず使ってみようと思わせるだけの魅力を、ブランドが放っていた。クリエイティブなアイデアは一人の天才が形にして世に出すのかもしれない。が、それを世の中に受け入れさせるフェーズでは、お金と時間とブランドが強力な武器になる。

ここまで考えてきて、ようやく「何となく嫌な感じ」の原因がもう一つ見えてきた。Googleとの契約で潤っているMozillaは、マーケティングにかけるお金と時間がある。Appleほどじゃないにせよ、ブランド力もある。なのに、Webページの決め方がGoogle的だ。その振る舞いは一見合理的に見えて、実は違うんじゃないか。

Mozillaは、「商業的な目的と公共の利益とのバランスを取ることが重要」と宣言してる。なら、公共の利益のため、Webサイトのデザインに関してもっとチャレンジしてほしい。せっかく製品では、Firefox.nextでタブをサイドに置こうとか頑張っていることなんだし。